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Our Story
このプロジェクトを始めるまで
この活動は2011.10.28のボランティアツアーへ参加した体験をきっかけに始まりました。
絵描きの私に何ができるだろう?そんな疑問を解く為、まずは身一つで被災地に触れ、そこから何か浮かんできたことをしようと考えました。実際体験してみると、初めてシャベルを握り、たった石ころひとつ、木の根っこひとつに汗だくになり手が震えてしまう自分はあまりにも非力であり、かつ、人間など本当にちっぽけな存在なのだと広大な更地とうず高い瓦礫を見ながらその津波の捥ぎ取った爪あとを思い知りました。そんな中出遭ったのが後にこの活動のキーパーソンになる、通称 ”陸前高田のお母ちゃん”と呼ばれる佐藤君子さん、世話役&地主の佐藤貞夫さんの2人でした。ボランティアツアーで畑の瓦礫浚いをした際に更地を見ながらお母ちゃんが言った「もぅ、こごには住めないもの」というなにげないひとこと。そして、の瓦礫浚いが完了して土が柔らかい畑へ戻ったときに貞夫さんが言った「こごは花畑にしよっか!」というなんとも明るいひとこと。その言葉に力を貰った私は「お花畑になったら絶対見に来ます」という小さな約束をしました。その小さな約束こそがこのプロジェクトを思いついた「きっかけ=種」だったのです。さらに、自分に何ができるのかという問いに関しても、「絵描きである自分だからこそ絵をこの活動の為に描こう!」という結論に達しました。そして東京と被災地を繋ぐ架け橋となるような「Art Products Shop」や「参加型の育種BLOG」の運営を考え付いたのです。
こうして、活動から1年半で多くの方の協力の下ようやくその想いが形になり、
公式HP&SHOPまで漕ぎ着けることができたのです。

Recognize an issue
課題の認識
広大な更地と眩く輝く海に沈む夕陽という対照的な風景を見ているうちに
自身の中にごくシンプルな課題が生まれました。
■ 広大な更地をどうやってよみがえらせるのか?
■ 悲しみから立ち直るにはどうすればいいのか?
Missions & Future

与えられた使命と未来予想図
そして、この課題を解決すべく悲しみや喪失から脱出できるような使命を
本プロジェクトに課すことにしたのです。
■ 失ってしまった土地ではなく、生み出す土地となること
■ 悲しみの場ではなく、憩いの場となること
■ 多くの亡くなった方を忘れずに弔いや祈りを捧げられること
将来的には花を単に贈るのではなく、育んでいく行為や育て上げた花を見る楽しみを被災地、被災地外に関わらず分かち合う事ことができるようなシステムの構築や地元での施設の提案と運用など今後活動してゆくことを未来予想図として運営の指針としました。

Vision
長期的なヴィジョンを掲げる
考え出したヴィジョンは活動を前期と後期に分け、前期に3~5年・後期に5~7年をかけ
長期的に活動と土地や人材の育成を図る事を目的としました。

前期 種まき期間
3~5年
<都心>
・花や種をモチーフにしたアートプロダクト作品を
アーティストや企業とのコラボでイベントとしてHPで
プロモーションと独自SHOPにてプロダクトの
チャリティー販売、売り上げを活動に寄贈
→前期のメイン活動となります
・育種BLOGにて種から苗を育成現地へ送る試みを
実験的に行う
・ワークショップを開き、子供達へ花の種の生命の
不思議について楽しく学んでもらう
・他県からの花の育成者を募り勉強会の開催
<現地>
・花畑から取れた花をプロダクトに換えて独自
SHOP並びに、現地でもパッケージング販売
・花畑の誘致開拓、積極的に説明会を開く
→冬季が長い為、その冬場の乗り越え方や
勉強会の開催などを計画実行する
・I 、Uターンの花農家の人材育成
→過疎化の街の再生のきっかけをつくる
・花の流通先、受け入れ先の店舗の開拓
※ここでは現地は被災地、都心は被災地外の
ことをさしています。
後期 開花時期
5~7年
<都心>
・アート×花種コラボプロダクトの継続的製作
SHOPチャリティ販売
→国内外にプロモーションをかける
・ワークショップを定期的に開催、また参加者の中から
育種BLOGに参加する方を選任
→継続的かつ積極的に現地と花種PJへの関心を
持ち続けてもらう
・ワークショップ参加者の中から希望者を募り、現地
への勉強会を兼ねた体験ツアーを開催
→実際に現地を訪れ育成をすることで様々な側面に 触れ個々に感じ現地への関心を深めてもらう
・流通の完全な運用を目指す
<現地>
・花畑から取れた花をプロダクト販売を完全に運用化
県内外に販路を拡大する
・ホテル、ウェディングへの花種PJプロジェクト並びに
育成した花をプロジェクト特別プランで販売
→花から生まれるHAPPYをシェアリングする
・現地での継続的に花農業を続けられるような研修制度 で県外、国外に勉強をしにいってもらう
・販売担当、育成担当を分けより個人にあった職業に
従事してもらう、リクルーティング開始と運用
Activity report
The first 第 1 弾 花の種を届ける活動開始
The second 第 2 弾 花の苗を届ける活動開始
The third 第 3 弾 花とイラストのコラボ販売に挑戦
The fourth 第 4 弾 mixi様から寄付金贈呈、現地へ貢献
The fifth 第 5 弾 育種BLOG設立
The sixth 第 6 弾 公式HP設立
The seventh 第 7 弾 レインボーガーデン作成
The eith 第 8 弾 ホテル日航東京 花の種寄贈フラワーイベント開催
The ninth 第 9 弾 Happy Yerrow Gardenをつくろう!!
The tenth~ eleventh 第 10・11 弾 Red Carpet Gardenをつくろう!!
......To be continued

今までの活動レポート
続く限り第何弾までも継続して活動し、BLOGにてご報告してゆきます。
Message

活動への想い
「種を植えること、それは始まり続ける行為」 この活動の根っこはこのような考え方に基づいています。
震災を体験した私達にできることは何だろう?そして続けられることは何なのだろう?おそらく、誰もが一度は考え実践に移している方は多いと思います。
ボランティアしかり、NPOしかり、報道しかり。しかし『復興』が形になれば必要がなくなる団体・行動も多いと思います。
現実、震災からもうすぐ3年を迎えようとしていますが、私が住んでいる都心ではすでにもう復興は終わったかのような振る舞いが目立ち、
活動をしている方の方が何故か肩身が狭いようなそんな話もちらほら聞こえてきます。
「震災は終わった」 そういう見方が少なからず芽生え始めているのです。
震災関連の内容を報じる新聞やTVの記事の中には事実をありのままに伝えている事も多く私達は日本という国の一部の現実を
グローバルな視点で把握することができます。しかし、それはあくまでも一部であって、あくまでも把握に過ぎません。
把握した、という行為が「終わった」という考えに摩り替わっていっているのかもしれません。
実際に何度も現地に足を運んでいるとまったく終わっていないことが明らかになります。
特に街のほとんどが津波に浚われ、ラジオで「陸前高田は全滅です!」と叫ばれたこの地は家を建てることのできない土地はあまりにも
広大で今度はかさ上げの為の土をその更地に盛り上げ、さらに人が住まう為の場所を確保する為に山を切り崩しているのです。
大量の土が大型トラックが渋滞になるほど行き来しているほど、土に塗れているのです。
「なぜ種なのか?」 それは、「0(ゼロ)」である土から「花や実(100)」が生まれるする様、つまり「再生」する様を観てもらう為です。
種を植え、芽生え、育み、花を咲かせ、実をつけ最後また種を落とすまでを土に実際触れ、日々再生してゆく街を自分の目で確かめながら
終わりのない活動をしてゆきたいと考えているのです。
「都心で始まる再生アートとワークショップ」 都心でできること、アーティストである立場を最大限に活用し「0」から造る「再生アート」を生み出すということ。
チャリティーエシカルグッツの企画販売。そして、種を植えることとアートや夢を子供達と共に楽しみながら「再生」と「復興」を理解してもらう為のワークショップ。
この二つを重点的に最後はツアーなどで現地に赴きその現地の人々や土に触れ震災を体験した日本の今後や自身の「夢」について話あってもらう
という企画を考えています。
・都心メンバーは春夏秋冬各シーズン毎に現地に赴き、耕し、植えることオフシーズンには商品開発をする。
・現地メンバーはコンスタントな畑の手入れと細やかな現地報告をしてゆく。
この2点を私達の活動の指針として継続してゆくことが我々の課題です。
メンバーは随時募集しています。私達と一緒にこの活動を広げてゆきませんか。
皆様の積極的な参加、心よりお待ちしております。
花の種を贈るプロジェクト
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